聴くという事

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私たちの身の回りには、多くの音があります。

人の話や音楽など、聞くことを意識して聞く音。

近所で遊ぶ子供の声や犬や猫、小鳥のさえずり。

風の音、雨の音。

自動車の音や電車の音、工事の音。

自然に耳に入ってくる音。

そして、聴こうとしなければ聴こえない音があります。

聴こうとしても聴こえない音もあります。

ジョンケージ作曲4分33秒という曲を月曜日のオンライン授業で真理恵先生に紹介して頂きました。

この4分33秒は、3楽章から成る楽曲ですが全ての楽譜が休みだけということになります。

この曲に興味が湧いて聴いてみました。

聴衆を前にして、指揮者は指揮台へと登り演奏者は、ステージに出て演奏姿勢へとうつります。

ところが、楽譜はすべて休みです。1楽章ごとに指揮者は指揮棒をさげて3楽章の無音の曲は終了して、指揮者と演奏者は聴衆に一礼し、聴衆は、4分33秒の無音の音楽に対して拍手をおくります。

これだけ見ると簡単に理解ができませんが、世界的に見ても非常に高い評価を受けている楽曲なのです。

そして、この4分33秒の中では、無音にもかかわらず、音があるのです。

誰かがせき込む音、誰かのヒールのような音、紙の音。本当にわずかな微細な音。そして、私は何か1本の線のようなスーッとした空気を感じました。この4分33秒の中に感じるものは無限?なように思います。

ジョンケージは、無音(音のない世界)の音をきくためにハーバード大学の無響室に入り、自分の神経系が働いている音と自分の血液が流れる音を聴いたと記しています。

そう、音は常にあるのです。

自力整体も身体の感覚を研ぎ澄まし心臓の音、呼吸の音、からだの流れの音を聴くことに意識を向けていきます。4分33秒を聴いて共通するところがあることを感じました。

そして、もっともっと深く音を聴いてみたい思いが沸き上がってきました。

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