ラテン食堂カサ・デ・コミーダスへようこそ!
その1 ラテン食堂の立ち上げまでについて
このページにお越しくださった皆様、ありがとうございます。
ホームページを先に始めてしまいましたが、ようやくブログの開設にこぎつけました。
ここではラテン食堂カサ・デ・コミーダスにまつわることや、日々のあれこれについて綴っていきたいと思いますので、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
まずは、なぜラテン食堂を始めようと思ったのか、そこへ至るきっかけについて、お話したいと思います。
そもそもの、料理に興味を持ったきっかけは父でした。
父は食にこだわりが強く、私が子供の頃は、手打ちうどんや、外国の料理の本をお手本にピロシキ(ロシアの肉詰め揚げパン)を作ってくれたり、ケーキやクッキーまで作る人で、その影響を受けてか、私も高校生の頃には日々のおやつを作るようになり、特に冬休みなどの長期の休みの前には、日持ちのする菓子を大きな缶一杯に作りだめしておくのですが、皆が食べていくので、休みの前にはなくなってしまうのが常でしたが(-_-;)、それがうれしくもあったのでした。
ところが就職してからは残業も多く、料理をする暇もありませんでしたが、会社を辞めて南米に一人旅に出て、その旅の途中で出会った料理に私は夢中になりました。
と言ってもグルメ旅とか、食べ歩きばかりしていた訳ではありません。
普段はパンなどを買って、宿の部屋で食べるのが常でしたが、出かけた市場などで出会う原種の野菜や、庶民的な食堂で出てきた料理、ツアーに参加して昼食で出てきた料理に、ご当地ならではの名物料理やスイーツ、ドリンクと、流しのミュージシャンの音楽は忘れられないもので、旅の途中の食事には、旅の思い出も付随するので、より美しく、香りと味と音が鮮やかに甦ってくるのです。
帰国して、当時参加していた中南米音楽愛好会の会報に、食にまつわるコラムを書き始めたのは、自然な流れだったように思います。
そのタイトルは「南米の皿の上」。
旅の途中で食した皿の上に載っていた料理をレシピと共に紹介する、という意味でつけた名前で、コラムの掲載される季節や気分によって、南米だけではなく、ルートの都合でプラスで旅したスペインやポルトガル、モロッコの料理についても書き綴った紀行文でもあり、それは会の終了するまで約20年に渡って休み休みながらも書き継いでいったものでした。
そのコラムを書いている間には結婚して、夫婦二人で中南米に旅行したり、友達を呼んでホームパーティを度々催したり、果ては、中南米音楽愛好会の会員を集めて、「南米の皿の上 実践編」と題し、中南米の料理にターゲットを絞ったバーベキュー大会を開いたりもしました。
自分の興味のある国々の料理を作るのが楽しい。
また食べたいと言って喜んでもらえるのが嬉しい。
それらのすべてがラテン食堂への原点となったように思います。
けれどまだ当時はそれを仕事にしようとは思いもよらず、ただ趣味の一環としてやっているに過ぎませんでした。
そんな私に変化が訪れたのは、昨年のこと。
夫婦で参加している南米先住民ドラムカーハと歌う歌クラスのメンバーで、それぞれの持っている特技を活かしたお祭りをやろうということになりました。
メンバーは、アーティストやデザイナー、セラピストに陶芸家など、一芸を持っている人が多く、その中で私は単なる会社員に過ぎませんでしたが、クラスに度々得意料理を持って行っていたことから、料理を出してみたら、ということになり、急遽付けた屋号が「ラテン食堂カサ・デ・コミーダス」でした。
1国に絞らず、ラテン諸国の様々な料理を出したいと思って、名前はわかりやすく「食べもん屋」の意である「カサ・デ・コミーダス casa de comidas」としました。
メンバーの一人と夫が助っ人として入ってくれたこともあり、物珍しさもあってか、食堂は息つく暇もないほど大盛況でした。
その時の興奮が冷めやらず、また食堂をやりたいな、とは思いましたが、自分一人で何かすることは出来ないので、また機会があれば、と思うに留まったものの、ずっと食堂への想いはくすぶり続けていました。
それが、会社を辞めて起業しようと思うに至ったのは、やはり昨年のこと、夫の姉が急死したことによるものでした。
義姉は、定年になったら世界旅行をしようねと夫婦で話していたとのことでしたが、それを果たす前に亡くなり、そのことは、私たち夫婦に大きな影響を与えました。
私は定年まで勤め上げるつもりでいたけれど、定年まで生きていられる保証はどこにもない。
けれど辞めたら生活はどうなるのか。
夫も、生きているうちに好きなこと、出来ることをしよう、と言うようになっていたものの、私自身は生活とやりたいこととの板挟みになっていました。
そんな時、ひょんなことから、カーハクラスのメンバー、@contigo.keiさんのアトリエにお邪魔して、色々話をしているうちに、自分でも思いもよらなかった、食堂への強い想いが沸き上がってきて、ああもうこのまま仕事を続けるのはもう無理だ、と痛感してしまいました。
勤務していた会社での人間関係や仕事内容に悩み疲れていたこともあり、アトリエからの帰途に、一年後に辞めようとと考えたことは、数日後には、一日も早く辞めたいと思うようになり、その2か月近く経って、ようやく退職出来た時は、夢でも見ているんじゃないかという感じでした。
これでようやく自由になれる。
自由と引き換えに失うものは大きいけれど、それ以上にストレスから解放される、ということは何にも代えがたい大きな喜びであったのです。
退職を決めてからの数か月には様々なことがありました。
体調不良、怪我、そんな中でのラテン食堂のプレ・オープンと、それを経ての反省点。
そして、新たに正式オープンに向けての活動。
やるべきこと、覚えなくてはいけないこと、やりたいこと。
山積みな課題に追われまくりな毎日ではありますが、夢に向かって確実に歩んでいる、その手ごたえが、今の私を動かしている原動力でもあります。
ラテン食堂カサ・デ・コミーダスを、食を提供するだけではなく、音楽や文化の交流の場としたい。
その思いで今、私は邁進しています。
どうか皆様、応援のほど、よろしくお願いいたします!!!
初回から長々と書いてしまいましたが、これに懲りずに次回もお付き合いくださいませ。